第10回・・・「iQバトル#11」出場記(後編)


※出場者は永田喜彰村上彰牟禮大造春日誠治秋元雅史の5人(敬称略)。各人の解答・発言は、それぞれの色(=席の色)で表す。

宏太郎先生の「豆知識コーナー」の収録も終わり(放送では最後に流れるが、実際は本編開始の直前に撮る。みんな笑いをこらえるのに必死)、メンバー紹介。寒い内輪ネタを披露する人もなく、いい雰囲気(一般ウケを狙ってスベるのはギリギリセーフ)。内輪ネタも気づかれないようにやる分にはいいと思うけれど(実は私も1つやってます)、あからさまなのはねえ・・・。結局、オタククイズプレイヤーは「自分の周辺世界」以外に対する意識が低いってことでしょうが、そういうのはオープン(と呼ばれる閉鎖的なクイズ大会。この名称が既に意識の低さを示している)でやってて下さいな。

いよいよクイズが始まる。

〔スピードバトル〕

「1961年、乗っていた北ローデシア行きの飛行機/(で事故死した第2代国連事務総長は誰?)」
「ダグ・ハマーショルド」(○)

「1968年、チェコスロバキアで、『プラハの春』と呼ばれる自由化運動を推し進めた/第一書記は誰?」
「ドプチェク」(○)

いずれも答が頭に浮かぶのに、押せない。司会の2人の解説+長いやりとり(これを嫌う人が多いようだが、私は大好き)を聞きながら、「前回同様、ここを0点で終えてしまうのでは」という不安に襲われる。とにかくボタンを押して解答権をとらなければ、という今までにない気持ちにかられる。

「1947年(昭和22年)に、内閣総理大臣が16の全大臣を兼務するという異例の出来事が起きました。その総理は/誰?」
解答権は取ったが、答がわからない。推測で
「吉田茂」(×)「芦田均」(×)「片山哲」(○)
これで調子が狂う。

「1980年12月8日、
おおー、大好きなジョン・レノンの命日か。何を聞いてくるんだ?「ダブル・ファンタジー」か「スターティング・オーバー」か?
ニューヨークのアパート、ダコタハウスの前で/マーク・チャップマンに射殺された人物は誰?」
「マーク・チャップマン」(×)「ジョン・レノン」(○)
これで完全な悪循環にはまる。

「1963年、映画『野のユリ』で/黒人として初めてアカデミー主演男優賞を受賞したのは誰?」
「シドニー・ポワチエ」(○)

「1980年(昭和55年)、ロッテ・オリオンズの張本勲が通算3,000本安打を達成。この時打たれた/阪急ブレーブスのピッチャーは誰?」
「山口高志」(○)

「1950年に行なわれた世界平和擁護大会で発表され、全世界に原爆反対の署名を呼びかけた声明文を何という?」
「ストックホルム宣言」(○)

「1974年(昭和49年)に初公演。宝塚/」
「ベルサイユのばら」(×)
(続き)宝塚歌劇団始まって以来の大ヒットとなった『ベルサイユ/のばら』。初代オスカルを演じたのは誰?」
「榛名由梨」(○)

「1967年(昭和42年)、第6回統一地方選挙の東京都知事選で当選し、初/の革新都知事となったのは誰?」
「美濃部達吉」(×)
信じられないミスでボタンの叩き合いになり(本当は見苦しくてやりたくないのだが、出場者としては、そうも言ってられない)、
「美濃部亮吉」(○)

「1972年(昭和47年)に開催された札幌冬季オリンピックで、失格処分となったオーストリアの/アルペンスキーヤーは誰?」
「カール・シュランツ」(○)

※今、気づいたんですが、「ストックホルム宣言」以外は全て「人名」を答える問題なんですね。

分かっても押せない、「次こそ押そう」と思うと知らない問題、叩き合いには負ける。前回に比べエンジンはかかっていたのだが、サイドブレーキを解除し忘れてたという感じだった。
感想を求められ
「早いですね、皆さん。」とは言ったが、本当のところは「予想より早くないのでありがたいです。でも、それ以上に僕の押すのが遅いです。」という言葉に全く同感だった。だからこそ、悔しかった。

永田・・・10 村上・・・10 牟禮・・・30 春日・・・50 秋元・・・0

〔エポックバトル・・・テーマは「世界の大富豪」〕
こう聞いた瞬間、「ウォーターゲート事件」に関して暗記した事柄が、頭の中で音を立てて崩れていった

「1928年、石油王ロックフェラーが、ある日本人の遺体をアフリカからアメリカへ運びました。その日本人とは、一体誰だったのでしょうか?」
島田「1928年というとだいぶ前ですよね。」竹下「あんた、本当にアナウンサーなの?」という会話を聞きながら答を書く。「日本人」「アフリカで死んだ」から、間違いなくこの人だろう。
「野口英世」(○)

さすがに全員正解。

「1946年、ジョン・ロックフェラー2世は、ニューヨークの73,000平方メートルの土地を寄贈。さて、この土地に建てられたのは、一体何という建物でしょうか?」
「1946年」だからおそらく・・・。確か「ウルトラ」の決勝問題にもあったような気がするし・・・。
「国連本部ビル」(○)

他の正解者は春日氏のみ。ちょっと意外。

「1930年、アメリカの大富豪ハワード・ヒューズが『××なんて誰でもできる』と、400万ドルを投じてあるものを作りました。一体何を作ったのでしょうか?」
「××」って何だろう?当時だから車の「運転」、いやもっとスケールの大きいものの「操縦」かな?
「飛行機」(×)

正解は「映画(『監督なんて誰でもできる』)」で、牟禮氏のみ正解。なるほど、なるほど。

「1968年、ケネディ大統領の未亡人・ジャクリーンと結婚したギリシャの海運王・オナシス。では、この結婚のために彼が別れた、世界的なオペラ歌手とは一体誰でしょうか?」
「世界的なオペラ歌手で、この年代なら、あの人しかいないんじゃないですか。越路吹雪!」という竹下氏のボケを待つまでもなく
「マリア・カラス」(○)

他の正解者は春日氏牟禮氏永田氏

私は「書き問題」が好きだ。それも、「知らないと答えられない」問題ではなく、「自身の持つ知識をフル稼働させれば答を導き出せる」タイプのものが好きだ。今回は後者の傾向が見られ、自分のヒラメキ(フル稼働も「理詰め」では正解にたどり着けない。あくまで知識をベースにしたヒラメキの勝負だと思っている)も悪くない。さらに、こうしたタイプの問題が他の出場者はあまり得意ではないようだ。早押しでなんとかついていって、書き問題で差を詰めることができるかも知れない、と少し希望が湧いてきた。

永田・・・30 村上・・・20 牟禮・・・60 春日・・・80 秋元・・・30

〔タイムバトル・・・「ハイセイコー」の写真が映し出される。テーマは「1973年」。〕
これは聞いてガッカリ。私は自分が生まれた以降、特に昭和50年代には自信があったのだが、生まれる1年前とは。しかも「オイルショック」と「巨人V9」しか浮かばない。

「大活躍したハイセイコーは、この翌年に引退しましたが、引退を記念してリリースされた/「さらばハイセイコー」を歌った騎手は誰?」
「さらばハイセイコー」(×)「増沢末夫」(○)

「この年、ネイティブ・アメリカンへの差別に抗議して、第45回アカデミー主演/男優賞の受賞を拒否したアメリカの俳優は誰?」
「マーロン・ブランド」(○)

「この年、ベトナム戦争に影響を受け、絵本『戦火の中のこどもたち』/を完成させた日本の女性画家は誰?」
「いわさきちひろ」(○)

「日本ではこの年から実施。もともと『頭を冷やす』という意味がある、通信販売/などを一定期間であれば契約を解除できる制度を何という?」
「クール・ヘッド」(×)
またも叩き合いの末
「クーリング・オフ」(○)

「この年10月5日、横須賀のアメリカ海軍基地へ入港した/」
「エンタープライズ」(×)
(続き)アメリカ第7艦隊の主力/空母の名前は?」
「ミッドウェー」(○)

「スピードバトル」の悪循環がまだ続いている。特に叩き合いで解答権を取れないのは、手の遅い私には苦しい。思わず「何で取れないんだ!」とつぶやいた記憶がある。

「この年最大のベストセラー、上・下巻合わせて350万部を突破した/」
「ノルウェイの森」(×)
(続き)小松左京の長編/SF小説は何」
「日本沈没」(○)
やっと正解。ガッツポーズをしたり、唇が上や横に動くのは気合いが入っている証拠。普段は滅多に見せない姿だ。

「この年に亡くなった、名作『怒りの葡萄』/や『駅馬車』などで知られるアメリカの映画監督は誰?」
「スタインベック」(×)「ジョン・フォード」(○)

「この年、読売ジャイアンツは史上空前の9年連続日本一を達成。/」
リズムをつかもうと、解答権を取るが
「南海ホークス」(×)
(続き)この時、日本シリーズのMVPとなったのは誰?」
「堀内恒夫」(○)
もちろん知っていた。こんなものだ。

「この年、全国の河川に汚染が広がっていることが明らかになったPCBとは/
「ポリ塩化ビフェノール→ポリ塩化ビフェニール」(○)

「この年、パリ平和協定が成立。この交渉のアメリカ代表はキッシンジャー補佐官。では、ベトナムの代表は誰?」
「レ・ドクト」(○)

※ここも10問中6問が「人名」当てだったのか。

ついていくどころか、思いっきり離された。

永田・・・40 村上・・・40 牟禮・・・70 春日・・・130 秋元・・・40

〔スターバトル・・・テーマは「エジソン」〕
かなり情報をもらっていたテーマなので助かった。

「1909年、エジソンは蓄電池の発明に成功しましたが、それはあるものに利用するために作られたものです。彼は一体何に利用しようと考えたのでしょうか?」
※この回に限らず、私は画面向かって左をしばしば見ている。それは得点表示板とスタッフの動きを見るためである。この問題の時、私はスタッフが「人の答をみないで!」と書かれた紙を持っているのに初めて気づいた。「確か前回はそんな注意はなかったよなあ。その後の回で誰かカンニングしたのかなあ。」と思い、つい「ニヤリ」と笑ってしまったのだが、な〜んと、この一部始終がオンエアされていたんですねえ。一緒に見ていたTQCのOB・OGにも思いっきり笑われてしまった。テレビは気が抜けない。

え〜と、エジソンはフォードともつながりがあったし、この時代だから多分、そうじゃないかな。
「自動車の動力」(○)

他の正解者は永田氏のみ。「後に扱いやすいガソリン車が普及し、電気自動車は姿を消してしまいました。」という島田アナの解説を聞き、「エジソンがもっと扱いやすい電気自動車を作っていたら、私はどんな仕事をしていたのだろう。」などと考えてしまった。

「エジソンが特許を取った、映画の実用化の第一歩となった発明品は一体何というものだったのでしょうか?」
この名前は、鶴バトラーが教えてくれた。多謝!
「キネトスコープ」(○)

意外にも単独正解!「レプリカを博物館で見たような記憶があります。」などと言ったが、後に調べたところ、それは「キネトスコープ」とは違うものだったようだ。

「1931年、エジソンの葬儀が行なわれた夜、マンハッタンの人々が彼の死を悼んで行なったこととは、一体どんなことでしょうか?」
これは金澤バトラーが電話で話してくれた。Thanks a lot!
「明かりを消した」(○)

全員正解。そしていよいよ小論文問題

「エジソンの代表的な発明といえば蓄音機。この蓄音機、当初は全米で爆発的に売れたのですが、ライバル会社が登場すると、人気がなくなっていきました。人気がなくなった最大の理由は何だったのでしょうか?」
全くわからない。最初に書いた答えは「エジソンのは手動でライバルのは自動」。絶対違う。こういう時は司会のしゃべりに耳を傾ける。すると竹下氏が「当時の販売形態も考えないと難しいですね。」という意味のことを言った。瞬間に一つの疑問が浮かぶ。「当時のレコードは蓄音機ごとに規格が異なるのではないか?」と。ソフトの差でハードが売れない、売れるハードに良いソフトができる、というのは最近のゲーム機の流れを見れば明らかだ。
「ソフトがライバル社に比べ劣っていた。」(○)

ビンゴ!30点満点を獲得!他には永田氏が詐欺的弁術で(ほめ言葉です)5点をもぎとっただけ。ここは全問正解で終える。いつのまにかトップとは40点差の2位になっていた。そしてこの時、「勝てるかも知れない」と初めて思った。

永田・・・65 村上・・・50 牟禮・・・80 春日・・・140 秋元・・・100

〔ファイナルバトル〕

まずは「iQマスタークイズ」。前々回のマスター、石貫氏からの問題。
「1979年(昭和54年)11月4日、いわゆる『江夏の21球』で、広島東洋カープが初の日本一/」
「近鉄バファローズ」(×)「古葉竹識」(×)
山際淳司の「江夏の21球」は大好きで、この間も読んだばっかりだ、何でも来い!
(続き)日本一を決めた球場は/どこ?」
タイミングは良かったが、答がわからない。そんなわけない、と思いながら
「藤井寺」(×)「広島市民球場」(×)「大阪球場」(○)
後で「江夏の21球」を読み返すと、しっかりと「大阪球場」と書かれていた。これに気づかなかったとは、私もまだまだ甘い。でも、なぜ大阪球場だったのだろう?

「1968年、ジョン・F・ケネディの弟であるロバート・F・ケネディ/
「ロサンゼルス」(×)
(続き)ロバート・F・ケネディが銃弾に倒れた/ロサンゼルスのホテルの名前は何?」
「サーハン・サーハン」(×)「アンバサダー・ホテル」(○)

「1951年(昭和26年)、『アジャパー』という流行語/を作った日本の俳優は誰?」
「伴淳三郎」(○)
得意ジャンル「流行語」と書いたおかげか。2回出て、最初に解答権を取って正解したのは、結局この1問だけ。

「1906年(明治39年)、大日本麦酒を設立し、/『ビール王』と称された実業家は誰?」
「馬越恭平」(○)

「1984年(昭和59年)、WBC世界ジュニアバンタム級王座を獲得し、日本人として/初めてWBA・WBC統一王座に輝いたボクサーは誰?」
「ファイティング原田」(×)「渡辺二郎」(○)
とうとう1問差になる。この頃になるとメチャメチャ気合いが入っていて、誰も見たことのないようなガッツポーズをしており、自分でも恥ずかしい。なお、この問題は「さん」付けをしなくて結果的に正しかった。

「1933年から、フランクリン・ルーズベルト大統領が実施した/」
「ニュー・ディール政策」(×)
(続き)ニュー・ディール政策。さて/『ニュー・ディール』とは、もともとどんなゲームの用語だったでしょう?」
「ポーカー」(○)

「1930年(昭和5年)、東京駅で狙撃され、/」
そのままか?
「浜口雄幸」(○)
(続き・・・『男子の本懐』という言葉を残した総理は誰?)

また、2問差になる。そろそろ時間もない。次は必ず答えなくては。

「1956年(昭和31年)、小説『太陽の季節』が/」
「石原慎太郎」(×)
(続き)芥川賞を受賞。この作品をきっかけにブームとなった/」
太陽族だ!
「太陽族」(×)
よし、チャンス。でも答えは何だ?ブーム?あっ、もう一つあった!
「慎太郎刈り」(○)
(続き・・・ヘアースタイルは何?)
頭に浮かんだ言葉が耳から入ってきた。この瞬間、負けを悟った。

「1909年9月6日、探検家ロバート・ピアリーが北極点に到達した5日前のこと。ニューヨーク・ヘラルド紙が報じた北極点の征服者/とは一体誰?」
「アムンゼン」(×)「フレデリック・クック」(○)

「1960年の7月に発足した、ヨーロッパ自由貿易連合。アルファベット4/文字に略して何という?」
「EFTA」(○)

以上で終了。よく見ると、ファイナルバトルは全10問を2問ずつ分け合う結果となっていた。

永田・・・105 村上・・・90 牟禮・・・120 春日・・・180 秋元・・・140

最初の問題から一度もトップの座を明け渡さなかった春日氏の圧勝となった。「最下位も悔しいですけど、2位も悔しいです。」というのは素直な気持ちから出た言葉だが、その一方で満足もしていた。これだけのメンバーの中で、自分の持ち味を発揮しながら2位に食い込めた。考えてみれば、2位はTVでの自己最高成績だ。何よりも久々に「勝つこと」を意識して真剣に戦えたことが楽しかった。オープン(と呼ばれる閉鎖的なクイズ大会)は、私には当分必要ない。

充実した気分で収録を終えたためか、「優勝した時のためにとっておいた」はずの「島田アナとの握手」を求めてしまいました。いやー、素敵でした

最後に、協力をしてくれた皆さん、応援してくれた皆さん、他の出場者の皆さん、本当にありがとうございました。良い戦いができました。これをバネに3回目の挑戦をします。っていうか、もう終わってます。報告は、いずれします。

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