第14回・・・MIND THE GAP(3)

「早押しクイズ」の限界


クイズをやっている人達に、「クイズ形式の王道は何ですか?」と聞けば、まず間違いなく「早押しクイズ」という答が返ってくるだろう。かくいう私もそう思う。クイズ番組で「クイズ王」と呼ばれる人達が、並外れた早さでボタンを押し正解を重ねる姿に憧れてクイズを始めた、という人も少なくないはずだ。
また、クイ研に所属していた学生時代、クイ研でない友人から「クイ研の合宿って、やっぱり早押しの練習とかするわけ?」と聞かれたことがあった。要するにクイズをやっていない人達にも、「クイズといえば早押しクイズ」という認識があるわけだ。ということは、それは日本人一般の認識とも言える。

一方、クイズ自体を楽しむ国・イギリスには、「早押しクイズ」は存在しないのである!いや、もちろん「ボタンを早く押した人に解答権が与えられる」というパターンは存在する。しかしそれは、日本の「早押しクイズ」のように1つの形式として確立されていないため、「早押しクイズ」に当たる言葉がないのである。基本的に、イギリスのクイズは「早押し機」を使用しないものが大半で(ミリオネアもそうですね)、クイズの本やゲームはあっても「早押し機」は市販されていないという(ロンドンに1年いらした水谷先輩の話だから間違いないだろう)。
余談だが、「早押し機」は向こうでは「ブザー」という(でも「ブザークイズ」とは言わないのです)。「ブザー」だから、クイズ番組を見ると、ボタンを押していきなり「ブー」という音が出る場面に遭遇する。これには違和感があった。

以上の点から考えるに、「早押しクイズ」及びその位置付けというのは、「日本のクイズ文化=クイズ番組文化」の産物(前回の定例会見を参照のこと)といえよう。それでは、なぜ日本では「早押しクイズ」がクイズの代名詞となる程に確立されていったのだろうか。その理由を「クイズ番組文化」をベースにして考えていきたいと思う。

まず「早押しクイズ」の特徴は、「答がわかった所でボタンを押す競争」という点である。これにより、出場者と視聴者の競争意識は高まる。そういえば「世界一周双六ゲーム」の司会者は「机をボタン代わりにしてお楽しみ下さい」なんてことを言ってましたね。もっと言えば、その競争は判定が曖昧で、自分に都合の良い解釈ができる、という利点もある。自分が正解すれば「あいつ(出場者)より早かった」、自分が間違えたら「でも、あいつの方が早かったから」と言える。単に「知ってるか知らないか」にウェイトがあると、そうはいかないのだ。
また言うまでもなく、そのスピード感も特徴である。早押し競争はとてもスリリングでテレビ向きだ。そしてスピード感がある故に、「クイズ+ゲーム」という企画もスピーディーさを保ちながら成り立っていった(「早押しクイズ」で正解した人がパネルを選ぶとか、サイコロを振るとか)。
その上で、競争意識とスリリングさを高めるような問題パターンが生み出された。その代表が前フリ問題である(これはイギリスにはないのだ)。疑問詞が最後に来る日本語の性質ともあいまって、日本の「早押しクイズ」は独特の「深み」を増し、クイズ番組の主流となり、人々を魅了していったのだろう。

しかし、このような特徴及び利点を生かすためには条件がある。それは、「誰かが正解する(悪くてもボタンを押す)」ということだ。ボタンを押して不正解ならば少しは展開するが、誰も答がわからずボタンを押さないと、ゲームが展開しない。それを避けるため、「早押しクイズ」は基本的に「最後まで聞けば答がわかる(最低限誰か1人には)」ものになっていると考えてよい。その結果、誰も答えなさそうな問題は排除されていく。これが、「早押しクイズ」の問題における限界である。

また前回述べた通り、「日本のクイズ文化=クイズ番組文化」という状況下では「勝つこと」が最も重要視される。勝つためにはそうした「早押しクイズ」の「深み」に対応する必要が出てくる。それは以前に出た問題を押さえることであり、前フリのパターンを身につけることであり、実際に「早押し機」を使って早押しのテクニックを磨くことである。だから、「クイズの入門書」と考えられている本が実は「早押し必勝本」だったりするのだ。

しかしそれは、深みにはまった人間だけが「早押しクイズ」に対応でき、それ以外の人間を置き去りにしてしまう、という現象を生んでいく。例えば前フリだけを聞いてボタンを押し、後半部を正しく読みきって正解することは、ある程度「早押しクイズ」に対応をしていれば可能であり、それは「早押しクイズ」の醍醐味でもある。しかし対応をしていない人からすれば、「なんでこんな所でわかるの?」という話である。いくら最後まで聞けばわかる問題だとしても、擬似競争という視点で見れば相手にならない。「視聴者参加クイズ番組」とは名ばかりで、実際の視聴者は問題に対して「参加」すらできない状況が起こってしまうのだ。これが、「早押しクイズ」の構造的な限界である。

念の為に言っておくが、私は「早押しクイズ」を否定しているわけではない。否定したいのは「クイズといえば早押しクイズ」という認識である。「早押しクイズ」は王道かも知れないが、決して正道ではない。クイズに正道なんてない。どんな形式のクイズにも限界があり、「早押しクイズ」も例外ではない。それを踏まえた上で、「早押しクイズ」の限界を補うようなクイズを模索する必要があるのではないか。
なぜ私がこの点にこだわるかと言えば、「深み」にはまる必要のある「早押しクイズ」には、クイズの「広がり」は求められないと思うからである。ある程度までの「深み」を持ってしまった現在の「早押しクイズ」は、クイズの入口としてふさわしい形式ではない。そもそも「早押し機」という特殊な機器を用いる形式だから、実際に「早押しクイズ」ができる人間は限られてしまうのだ。

「クイズといえば早押しクイズ」という認識の下では、「クイズをやっている人」「クイズを始める」といった表現が当たり前に出てくる。ここで語られる「クイズ」とは「早押し機を使って行うクイズ」に過ぎないのではないだろうか。・・・と、ここまで読んで「おや?」と思われた方は鋭い!私は冒頭の段落であえて、それらの表現を使ったのである。あの段落を何の疑いもなく読んでしまった人は、知ってか知らずか「クイズといえば早押しクイズ」という認識にどっぷりつかっているのだ!

もう一遍言っておくが、私は「早押しクイズ」を否定しているわけではない。ただ、「早押し機を使わないクイズ」の問題なり形式なりを一方で追求することがクイズの「広がり」につながるのではないか、と思っているだけである。

私は「ヌーベル・クイジーヌ」がその追求の方向性の一つである、ということをアンケートの結果から確信した。というわけで、アンケートの話である。まず、回答していただいた皆さん本当にありがとうございました。他人のHPを見ても感想のメールなどまず送らない自分を棚に上げての要求に応え、しかも問題全部見返して3問選んで理由も書けなどという面倒な作業をおこなっていただき、ただただ感謝です。
※抽選の当選者には今月(6月)中にメールを出します。
そして、「面白さ」のポイントは人それぞれなんだなあ、ということを改めて知ることができました。予測では、自分でも「これは面白いだろう」という自信のある問題に集中するのかと思っていましたが、さにあらず。思いっきり票が割れてしまいました。

しかし、「面白い」と思う理由については大きく2つにまとめることができます。それは、目標でもある「答えてうれしい」と「知って楽しい」です。
前者は「当たり前のことだけど、今までクイズとして出されたことがなかった」とか「(問題になった事実を)知ってるのが自分だけじゃなかったんだ」とか「誰も作らないだろうと思っていた自作の問題と、かぶった」といった内容です。これに該当する問題が人それぞれで全く異なっており、意外なものばかりでした。
後者は「わからなかったけど答を見てナルホド、と思った」というものです。一番得票の多かった(といっても4票ですが)セット011の「魚拓」の問題がその代表でしょう。

しかし、それらの「面白い」問題で「早押しクイズ」をやったとしたら、どうなるだろうか。確実に正解が出るのは「当たり前のことだけど・・・」という印象を持たれる問題だけだろう。結局スルーの連続となり、たとえ答を聞いてナルホドと思ったとしても、ゲームとしては展開しないことになる。
「ヌーベル・クイジーヌ」の問題群は、「早押しクイズ」の限界の外にあるものだ。実際、「絶対に正解が出るように」と考えて問題を作ったことはない。もちろん「絶対正解させるものか」と考えたこともない。正解する、しないは、それほど重視していない。それよりもクイズの問題自体を楽しんでもらうことを考えており、ひいては「クイズって面白いな」と思ってもらえることを考えているのだ。アンケートやその他の反応を見る限り、この路線で楽しんでくれている人は確実にいるわけで、今後もさらに楽しんでもらえるクイズを作っていきたいという思いを強めている。

しかし一方で、私は「ヌーベル・クイジーヌ」にも限界があることを知っている。一番に挙げられるのは、何といってもインターネットという「場」に対する限界である。実際に何人かが集まって遊ぶ、という形でのクイズの楽しみは全く追求できない。
そこで今後は、こちらの面の追求にも力を入れていきたいと思っている。もちろん、「早押しクイズ」の限界の外で。その手本となるのが、「パブリーグ・クイズ」を中心とする、ブリティッシュ・スタイルのクイズである。ここでは多くは語らないが、テンポが良く、問題も簡単なもので楽しめる形式が多い。もちろん「早押し機」も必要ないから、クイズの「場」を広げるにはもってこいなのだ。まずは仲間内で試してみるつもりだが、もし興味のお持ちの読者の方がいらしたら、そういう方々を集めた「勉強会」みたいなものも開きたいなあ、と考えている。まあ、あくまで構想ですし、クイズのために生きているわけではないので、いつ実現するかわからないですが、とりあえず参加希望者はメール下さい。そして気長に待っていて下さいね。

 

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