第15回・・・この半年を振り返って


※今回は「定例会見」の名に従い、会見形式で。

−この3月から9月はどのような半年間だったと思われますか?
一言で言えば「形がはっきりした時期」でしょうね。

−それは「ミリオネア」の放送開始や「タイムショック21」の放送決定による、「視聴者参加クイズ番組ブームの到来」ということでしょうか?
・・・番組が2つできた、というだけですから「ブーム」とは言えないと思います。ただ一般的に、現在におけるクイズの姿が、それらの番組という形で認識されたことの意味は大きいのではないかと。
わかりやすく言えば、「視聴者参加クイズ」と聞いて、「NYへ行きたいか〜」とか「かかってきなさい」とかいう過去の「イメージ」よりも、「ファイナルアンサー?」という現在進行形で耳にするフレーズの印象が強くなっていることは重視すべきだと思います。

−でも、なぜそのことがそんなに重要なのでしょう?
現実に形としてのクイズ番組がない・・・まあ、「アタック25」を除いてですが、番組がない時代というのは、「イメージ」に左右されてしまった時代だと思うんです。「イメージ」にとどまるだけでなく、さらにそれを頭の中で都合良く変化させてしまう。そうして出来上がった「幻想」が力を持ってしまう。そんな状況だったと思います。
98年の「ウルトラ」に対する反応は、どんな立場であれ、それぞれの持つ「幻想」と、映し出された「現実」との違いに対する反応だったんです。まあ、あの場合は1度きりの放送でしたが、「ミリオネア」のように毎週放送される番組は「現実」の印象を嫌でも強めます。それが「幻想」との差を持つ場合、各々がどのようにそれを埋めていくのかに興味があるんです。

−「ファイナルアンサー?」は若い子向けのお笑いネタでも耳にしますよね。
で、結構言うと受けてる。若い子は「イメージ」すらあまり持ってなかったわけですから、ああいうクイズ番組自体が新鮮なんじゃないですか。そういう人たちに対して「幻想」を持ち出しても耳を傾けてもらえませんよね。

−ところで「ミリオネア」は芸能人大会だけ視聴率がいいようですが、その理由は何故だと思われますか?
その辺は一連の「MIND THE GAP」で述べたことと関連しますが、視聴者は自分が参加できたかも知れない一般人の回だと擬似勝負をしてしまうのに対し、自分に参加資格のない芸能人の回では純粋に「番組」として楽しむことが出来るからだと思います。しかも芸能人の方がリアクションが良く、視聴者から見ても「なじみ」のある顔ですから、「敵」という認識は、よほど自分が出たくてしょうがない人でなければ持たない、というのが「現実」の数字としてあらわれているんじゃないでしょうか。

−そうした見方をするのは、やはりイギリスに行ったことが大きいのでしょうね。
はい。クイズ自体を楽しむ国が飛行機で半日のところにあった、というのが驚きでした。また、「ミリオネア」という比較対象のある時期に行けたことも良かったと思います。私にとってはイギリスのクイズ文化こそが、今まで求めていた方向性のはっきりとした形でした。今まで「幻想」にも成りえなかった思いに「現実」としての形が与えられました。あとは、そこに向かっていくだけです。

−しかし、「ミリオネア」の反応を見てもそれは難しいことではないですか?
もちろん急に、しかも私の力だけで日本がクイズ自体を楽しむ国になるとは思ってないですよ。ただ、「幻想」の時代に比べれば良い状況にはなっているでしょう。また、「ミリオネア」も「タイムショック21」も早押しメインでないことは、クイズ自体を楽しむための要素として大きいと思います。

−クイズ自体を楽しむという方向性の中で、「クイ研」というものをどう捉えていますか?
前にも少し書いたように、クイズの目的や楽しみが「勝つこと」のみにある、という日本のクイズ事情の中で特に勝つことを追求して出来た集団、という成り立ちを考えれば、「クイ研」というシステムに期待してはいけないのかな、と正直言って思います。また、その中で自分が楽しむため、すなわち自分が勝つために、自分が得意なクイズに執着し、他を排除したり、不毛な価値観争いをしたりするのも、「クイ研」というシステムの弊害だと思うようになりました。

−で、「クイ研」の連中には期待しない、と。
違います。私が期待しないのはシステムであって、人ではありません。クイ研にもクイズ自体を楽しもうとする人がいるでしょうし、そういう人ほどクイ研というシステムの中で苦労していると思います。事実、クイ研に属していてBSQに興味を示してくれている人もいます。そういう人たちが、クイズ自体を楽しむ、また楽しませることの種を蒔いてくれることを非常に期待しているわけです。

−中には、「自分が答えられるクイズをやって、勝って、楽しみたいだけだ」と言う人もいると思いますが。
もちろんそうでしょう。それは構わないし、悪いことではありません。私も勝つことの喜びとか楽しさ自体を否定しているわけではないですし。むしろ逆に、そうした意識は明らかにした方がいいですよね。そうすれば、「自分の得意なクイズを志向する人間が増えること」は「クイズの底辺が広がること」とイコールではない、ということもはっきりしてくるでしょうから。

−HPに関する話に移りますが、この半年間の問題作りはいかがでしたか?
本当にストックがなくなってしまい、更新した後に次のセットの10問を考える、というパターンが当たり前になってきました。新聞とかからネタを仕入れれば楽なんでしょうが、他の人には簡単に作れない問題でないと「自作の問題」とは言えないので、今がギリギリのペースかな、と思います。BSQもあるし。あ、もちろん新聞から問題作るのが悪いって言ってんじゃないですよ。
ただ、今まではいつか問題が作れなくなるのでは、っていう不安がありましたが、最近はそういう気持ちはなくなりました。大げさでなく「ライフワーク」になっていくと思います。

−「追記」は都度書いていく、という話だったと思うんですが・・・。
すいません。全然手が回りません。400問以上になると掲載問題の把握もままならなくなってきてまして、そのうち必ず・・・。

−「定例会見」の方は?
正直言って優先順位からいくと、かなり下ですね。「クイズ論」的なものは、大体書き尽くした感がありますし、書き足りないことは、後輩のささき君が私より深く、鋭く、丁寧に書いてますから。先述したような「自分が勝つこと」を念頭に置いた争いを離れてクイズを語っているのは、彼くらいのもんじゃないかな。あとは石田先生の研究もちょっと気になるけど。

−最後に何かメッセージを。
とにかく、感想を聞かせて欲しいと思ってます。「ルール」に従ってもらえばきちんと読ませて頂きますので。あとBSQの方もよろしく。

 

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