第22回・・・「ヌーベル・クイジーヌ・エピソード1」
(その1)


「高校生クイズ」を見ていて、ふと「僕が一番TVに出ていたのは高校生の頃だったんだなあ」と思った。「TVデビューは高校1年の10月だから1990年なのか、今からもう12年前・・・。」
僕はこの時初めて、干支が一回りしたことに気付いた。

振り返る程に遠い過去ではない、とずっと思っていた。何も変わっていないつもりだった。でも、初めてフジテレビのスタジオでクイズをした午年には想像もつかなかった今の自分がいる。
そして、そんな今の僕から当時を振り返ってみると、あの午年が現在の自分の始まりだったような気がしてきた。

区切りをつけるつもりで、高校時代の話を書いてみたい。それも「クイズの成績」という表面的なもの中心ではなく、今の自分に繋がる「クイズを通して見た風景」をメインとして。何となくそう思った。

一番多感な時期、一番冴えていた時期、一番尖っていた時期、あの時の感情をできるだけ正直に記していきたい。

 

※本当は高校以前での、クイズにまつわるエピソードも沢山ある。何せ、ウルトラクイズは第2回(4歳の時)から断片的に覚えているのだ。もちろん最初は親がクイズ番組を好きで、よく見ていたことに影響されているのだが、家にあった古い白黒テレビで1人でクイズ番組を見ていた記憶も多い。
1つ1つ挙げていくと高校時代の話にたどりつけなさそうなので割愛するが、小学校高学年の僕に、当時1万円はしたはずの「トリビアル・パスート」(クイズゲーム)を買ってくれた両親に感謝していることは書いておこう。

 


1990年4月、僕は東京学芸大学附属高等学校に入学した。僕のいた中学(公立)からは、ただ1人の入学生。今は亡き浦和市から、約1時間半の通学生活が始まった。
高校は内部生(附属中学からの生徒)と外部生(僕のような一般の中学からの生徒)が7:3くらいの割合の共学高。で、普通だと「内部生と外部生は仲が悪い」とかいうのがありそうだが、そういうのは全然なかった。特に1年の時のクラスは良い奴が多く、人見知りの激しい僕にもすぐに友達ができた。

部活は、そんな友達の一部に誘われたこともあり、テニス部を選んだ。
前年に「第13回ウルトラ」や「第1回史上最強のクイズ王決定戦」が放送されていたが、その頃の高校には、まだ「クイズ研究会」は無かったし、友達の中でも「クイズ」が話題になることもなかった。時代が少しでもズレていたら、僕も「クイ研」に入っていたかも知れない。
振り返ると僕は、この絶妙な時代背景に良くも悪くも流されて来た気がする。

高校生活に「クイズ」が持ちこまれるきっかけは、やはり「高校生クイズ」だった。
一緒にテニス部に入った友達から高校生クイズ出場の話を持ちかけられたのは、練習の終わった直後のテニスコートだったと記憶している。
いよいよ大のクイズ好きであることを初めて公にする時が来た。僕が、
「オレは埼玉で一番強いよ。」と言うと(「日本で一番」と言わなかったことに当時の謙虚さを感じる)、その友達は一瞬表情を変えながら、
「オレは東京で一番強い。」と返してきた。実は彼も相当のクイズ好きだったのだ。

それ以来、休み時間はクイズタイムとなった。電卓を早押し機がわりに、僕の持っていた高校生クイズの本や誰かが買ってきた「入社試験用の一般常識問題集」みたいな本から問題を出し合った。「クイズは創造力」が世に出る前の話である。中心は僕と、そのテニス部の友達だったが、結構大人数で盛り上がっていた。みんなクイズが好きだったのだ。

そして「第10回高校生クイズ」当日。僕らは6人(男子チームと女子チーム)で行動を共にした。当時の1問目は計算で解ける問題。難なく解けた、のだが、どういうわけか問題文を全員が取り違え、逆の答の側に吸い込まれてしまった。なぜなのかは未だにわからない。けれど、未だに会うとその話で盛り上がれる。翌年に1問目を突破したことよりも、今となっては楽しい思い出として残っている。

とはいえ、1問目敗退は当時の僕としては不完全燃焼もいいとこだった。そんな僕の気持ちをぶつける場が、その直後に現れるとは思いもよらなかった。

(つづく)

 

 

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