第25回・・・「ヌーベル・クイジーヌ・エピソード1」
(その4)


僕のいた高校では、3年になると個人の志望に合わせた時間割での授業が始まった。テニス部は既に2年の秋の都大会を最後に引退しており、いよいよ本格的な受験体制であった。そんな中でも、まだ僕はクイズに夢中だった。当然「高校生クイズ」にも参加するつもりで、予選通知ハガキを受け取っていた。唯一、満足な結果を出していない「高校生クイズ」のラストチャンス。絶対に勝つつもりだった。

ところがハガキに書かれていた予選日は、予備校の夏期講習がある日だった。僕の周りでは、現役生が予備校に通うことは珍しくなく、「高校生クイズ」のチームメイトも同様に日程が重なっていた。僕はどうしても参加したかったのでギリギリまで説得を続けたが、聞き入れられなかった。
この時、初めて現実を突き付けられた気がした。

クイズ番組に出たおかげで、クイズに溺れていった人間を目の前で何人も見てきた。クイズに限らず、「食えないことに人生賭けちゃダメなんだ」ということを思い知ったつもりでいた。
しかし僕は、自分自身が溺れかけていることに気づかなかった。おそらく、彼らも自らは気づくことなく溺れていったのだろう。そう思うと怖くなった。
将来食べていくために、今やるべきなのはクイズが受験勉強か。どんなクイズ問題より簡単なはずの2択の正解を、あの夏の日にようやく選ぶことができたのだ。

結局、その秋にあった「FNS」にも「史上最強」にも応募ハガキすら出さなかった。もちろんこの頃も、クイズ番組を見たりクイズ本を購入したりはしていたが、クイズはあくまでも「息抜き」の範囲で楽しむものとなった。それ以降、現在に至るまで、クイズを「メイン」に据えたことはない。

また、クイズ的にもこの時期がプラスになったと思えるのは、「クイズ」自体や「クイズ番組」にも冷静な目を向けることができるようになったという点である。友達のクイズ番組に対する感想は容赦ないもので、「あんなの知っててもしょうがない」とか「出てるメンツがつまらない」とか「あの人は気持ち悪い」とか「何で予選落ちして泣くの」とかいう話を平気で私に言ってきていた。
TVに出ていた頃の僕は、それらにかなり否定的だったのだが、純粋な一視聴者として番組を見ると「わからなくもないなあ」という気分になった。だから高校3年の3月に、友達から「今年はウルトラクイズをやらないらしい」という話を聞いた時も、残念に思う反面、納得している自分がいた。

僕は無事、東大に現役で合格することができた。次の目標は「4年間で卒業して社会人になること」だった。大学でやりたいことは高校時代に決めていたので(これは高校1年の担任のおかげ)、早目に研究テーマの準備ができ、目標達成(東大は3年から専門の学科に進むため、特に文学部では4年で卒業する方が少ない)。研究の中で興味を持った業界に就職し、現在、何とか社会人として生活することができている。「人見知り」とか言ってられない仕事で、高校時代よりは成長できたとは思うが、立派な「大人」になれたかどうかはわからない。

そして、その間もずっとクイズは僕の「息抜き」であり続けている。友達とのクイズ(この相手は大学時代のクイ研仲間に変化した)と、TVのクイズへの挑戦をこれからも止めることはないだろう。
はっきり言ってクイズ(特にTVのクイズ)は、その仕組み上「進化」はできず、「停滞」しかしていない。だから、ある程度のパターンを知ってしまえば、あとは力を入れなくても良い。大学でも社会人でも、ある程度結果を出してきたから、そう言い切れる。「メイン」を優先させてクイズを多少休んだって、記憶は簡単には消えないのだから。

 


このように高校時代を振り返ると、「クイズ」と「受験勉強」の日々になってしまう。それを誇らしいものとは全く思っていない。もっともっと本をたくさん読んだり映画をたくさん見たり、アルバイトをたくさんしたりして、自分の世界を広げておけば良かったと、今になって痛感している。

それでもギリギリのところで独り善がりに陥らずに済んだのは、友達に自分の世界を広げてもらったからである。そしてクイズについても、楽しさと恐ろしさを教えてもらった。改めて自分が恵まれていたことを認識する次第である。
あの時、別に夏期講習を1日休んで「高校生クイズ」に出ても受験には支障はなかっただろう。でも、溺れかけた状態で秋を迎え、冬を迎え、年を越し、今とは全く違う「未来」になっていたのではないかと思う。この時、溺れかけていた僕に手を差し伸べてくれた友達には本当に感謝している。例えどんなことがあっても、この気持ちは変わらない。

次の午年に僕は40歳になる。40歳の自分が何をしていて、クイズとどのように関わっているのか、全く想像がつかない。けれど、その時に振り返ってみて後悔のない日々を送っていきたいと思っている。

(おわり)

 

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