第8回・・・「クイズオタク」の壊し方


※とある検索サーバで「クイズオタク」という言葉を調べたら、私のページばかり引っかかってきた。「クイズオタク」って表現はタブーになっているのだろうか?しかし、いくらクイズ界(そんなものは社会的には存在しませんが)がタブーにしようとしても、「クイズオタク」という言葉はすでに一般的なものだ。目を背けてはいけない。

私は「クイズ研究会」のOBであることを隠したことはない。就職の面接時にも、仕事場での自己紹介でも必ずといっていいほど口にしてきた。自慢にはならないが、別に悪いことをしてきたわけでもないので、「学生時代は陸上やってました」というのと同じ感覚で言っているにすぎない。
しかし、受け取る側の印象は決して良いものだとは思わない。「クイズ」に限った話ではないが、社会的にはスポーツをやっていた人間の方が良いイメージを持たれる。これは残念ながら事実だ。そして「クイズ」に限っていえば、「クイズオタク」という悪いイメージがつく可能性もある(「クイズオタク」とは何か?という定義づけをする気は毛頭ない。それは個人によって開きがあるもので、定義など不可能なのだ)。

では、そのイメージをどう払拭していくのか。これは言うまでもなく、自分自身の努力に尽きる。相手は「イメージ」を抱いているだけで、実際にクイ研の人間に直接的な被害をこうむったわけではない。漠然としたイメージなど、自身の接し方や仕事ぶりで打ち消してしまえばいい。それができないとしたら、イメージの中に埋没してしまう程度の人間でしかないということだ。
私も「クイズばっかりやってきた奴だからダメなんだよ」という意味のことを言われる時がある。まだまだイメージを超えられない部分も多い。だからこそ、努力をし、そういう状況と格闘していく覚悟を持っている。苦しいが、それしか道はないと思っている。

では、そもそもの「クイズ研究会」→「クイズオタク」→「悪いイメージ」という流れは払拭することはできないのだろうか?これが今回のメインテーマである。

繰り返しになるが、相手は「イメージ」を抱いているだけにすぎない。しかし、それこそが問題なのだ。「イメージ」しか抱かせていないということが。クイズ研究会が「彼らに対してのクイズ」をほとんどしていないということが。
方法は何でもいい。イベントでも、ゲームの問題作成でも、もっといえば友人間での集まりの中でも。クイズはエンターテイメントだ。楽しむだけでなく楽しませること、即ちエンターテイナーとしての活動がクイ研には欠けているのではないか(「内輪ウケ」と「予定調和」で成り立っている「オープン大会」は、真の意味でのエンターテイメントとは程遠い)。そして、そうした活動が漠然としたイメージを壊していくことにつながるのではないだろうか。
話は「クイ研の現役会員」に限定しなくても良い。社会人も可能であれば仕事の中で、あるいは余興で、エンターテイメントとしてのクイズを披露することが、先に述べた「個人のイメージの払拭」のみならず、「クイズ(クイ研)自体に対するイメージの払拭」につながっていくだろう。
もちろんイメージを壊せなかったとすれば、その程度のクイズしかやってないと見なされるので、相当の努力が必要だとは思うが。

まあ、現時点で最も手っ取り早い「活動」はホームページにクイズを掲載することだろう。私がこのホームページで問題を披露している理由の1つもそこにある。しかし、ほとんどのクイズ関係者のページにクイズがない(その一方で、クイ研以外の人がネット上のクイズ大会を開いたりしているのだ)。内輪の盛り上りの延長でしかない掲示版や、「実例」のないクイズ論も結構だが、そのエネルギーの10分の1でも外に向けての活動に(ホームページに限らず)注ぐべきではないだろうか。

世の中にはクイ研ではないがクイズを楽しみたい、という人が沢山いる(そのことを先日受けた「アタック25」の予選で痛感した)。また、クイズに強い興味はないが色々なことを知っている人も少なくない。クイズに全く興味がなくて「クイズオタク」という先入観だけを持っている人も存在する。そうした人々に向けてクイズを発信することを、もっと重要視する必要がある。なぜならそれは、真の意味での「クイズの底辺拡大」にもつながるからだ。
勘違いしないで欲しい。クイズの底辺拡大とは「同人誌の部数が増えること」ではないのだ。

 

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